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サランモルのメンバー2人(Eさんと私トシ)が、石田音人さん(胡弓奏者)を座長とする「おとつむぎネット」一座に参加して、福島・宮城・岩手の被災地を巡る旅に行ってきました。
4泊5日、走行距離 2049kmの長旅でした。少々長くなりますが、その報告です。

 おとつむぎネット
この一座は歌・胡弓・ギタ―・朗読・創作ダンス。手芸その他と多彩なジャンルの人が参加し、最大では19人もの大所帯。その一座に、サランモルの2人(Eさんとわたし)が岐阜県在住のKさん、Hさんと共に参加することになったのです。Kさんの人脈を通しての不思議なご縁に感謝です。石田音人「おとつむぎネット」のサイトはこちら

 やってきたこと
この旅では、各所で8回ほどのミニコンサート(ワークショップも)を開いて被災の方々にご覧いただきました。音楽の演奏やダンス、その他手芸や木工、馬頭琴体験のワークショップなどを通して、被災された方々に元気になっていただけたら…というのが趣旨です。
また、被災者の方たちに「忘れていませんよ、応援していますよ」という気持ちを伝えることも目的のひとつでしょう。じっさいに仮設住宅に上り込んで話をしたり、仮設の集会所に泊まったりで話をする機会がありました。
被災地の様子も何箇所かで見てきました。帰ってからそうしたことを各自の地元などで伝えることも大事な任務かもしれません。

 私たちの見た被災地の現状
福島県、宮城県、岩手県の3県でいくつかの被災地を見てきました。
復興はまず瓦礫の撤去から始まります。その撤去は、見た限りではかなり進んでるように見受けられました。しかし、個人の家や商店、会社やスーパーなどがあった場所には建物の基礎が残り、元気なのは生い茂る雑草ばかり。荒涼とした空間が広がっていました。ところどころで視界を遮るのは、5~10mにもなろうかという瓦礫の山、それに積み上げられた廃車の群れ・・・。
学校や役場など鉄筋コンクリートの建物は、破壊されたまま手つかずで放置されているものが散見されました。地盤が沈下したため排水できず、一面水びたしの所もありました。陸前高田では80cm沈下したとのことですから、再建するとしても地盤のかさ上げも必要で、大変なことです。
復興はやっと始まったばかり。前途は長く厳しく、容易ではないと感じました。行政はもちろんですが、日本人みんながこの被災された方々のことを忘れず、(出来る範囲で)支えあい応援して行きたいものだと感じました。

 石巻で
あの石巻市大川小学校も訪れました。生徒108人中74人が津波にのまれたという学校です。(教職員の方も亡くなりました)。
一座のもの皆、校舎を目の前に言葉もなく立ちつくしました。なぜ子どもたちは死ななければならなかったのか・・・。助かる方法があったのではないか…。そんな思いが残りました。

 陸前高田で
陸前高田市には、鶴亀寿司の阿部さんという方を訊ねての旅でした。仮設団地の集会所や公民館、保育園などでミニコンサートやワークショップをいくつかやらせていただきました。鶴亀寿司さんのお店や仮設団地の集会室で泊めていただきました。寝具は持参の寝袋でした。被災の方たちと直接触れ合う機会もあり、重く貴重な体験の5日間でした。

前置きが長くなってしまいました。
以下、写真や動画を交えて日を追っての報告です。前半と後半に分けます。長くなりそうです。どうぞその覚悟で。


1日目 9月22日 名古屋や可児から福島県田村市へ 【蓮笑庵泊】
9月22日、自宅を6時前に出て高速道路をひた走り、福島県田村市に着いたのは15時過ぎでした。ここで各地からのメンバーの車4台が集結。18人が揃いました。まず、座長の石田さんの計らいで、福島県田村市の都路(みやこじ)という集落を訪れました。
ここは福島第1原発の事故により警戒地域となり、酪農家の牛が餓死したり殺処分されたところです。道路端の牛のいない牛舎を見てKさん、「牛が可哀そう」と早速ハンカチを目にする始末。Kさんの心根の優しさに触れました。(都路は、現在は避難準備区域となり規制が緩和されている)

夕方、蓮笑庵さん関連の「小鳥の森」にて最初のステージです。準備が終わったらもう夜……。暗闇の中、幻想的なコンサートになりました。

開演に先立ち、蓮笑庵の渡辺仁子さんが「蓮笑庵暮らしの学校」開講の挨拶をされました。

多くの方は「蓮笑庵ってなに?」ですよね。民画家(この言葉も聞き慣れない)である故渡辺俊明さんが福島の里山に創り上げた理想郷とでも言ったらよいでしょうか。
詳細は蓮笑庵公式サイトをご覧ください。

小鳥の森のステージ
「おとつむぎネット」の石田音人、いのこ福代、加藤たかまさの皆さんです。息の合った司会で心のあたたかくなる歌を聴かせてくれました。

妖精の踊り
ほの暗い木陰から登場したのは二人の妖精です!。 石田音人さんの胡弓の調べに乗って、こかチちかこさん、ユリアさんのお二人のダンス。不思議な魅力でみるもののココロを捉えました。

終わってからその場で交流会。たき火にあたりながらおむすび、おはぎ、トン汁などを皆でいただきました。
一行は近くの温泉「花の湯」で疲れを落とし、蓮笑庵さんで泊めていただきました。


2日目 9月23日 蓮笑庵から宮城県七ヶ浜町へ。七ヶ浜商店街祭りでコンサートのあと石巻市立門脇小学校と大川小学校を巡り、上品の郷でミニコンサート。 【仙台のビジネスホテル泊】

蓮笑庵にて
朝早く蓮笑庵の中を見て回りました。とにかく建物の中も、戸外も雰囲気が素晴らしい。またゆっくり来てみたいと思わせるところです。
その蓮笑庵の前で記念写真を撮って渡辺仁子さんに見送られ、8時ごろ出発。福島県田村市から宮城県石巻(いしのまき)市に向かいました。石巻まではかなり遠いのです。


七ヶ浜朝市会場風景 七ヶ浜ステージ
石巻市七ヶ浜の朝市会場に着きました。小雨がぱらついていました。
大急ぎで設営して、いざミニコンサート開始♪


仮設商店の方たちが飛び入りで斉太郎節を歌ってくださいました。三味線も合いの手も息ぴったり。 「お礼のつもりで歌います」とおっしゃって下さったのが嬉しかったです。

七ヶ浜のミニコンサートが終わった後、石巻市立門脇小学校と大川小学校へ献花のために向かいました。
石巻市は仙台の東北およそ30kmほどに位置し、東日本大震災で市町村単位で最多の約3800人の死者・不明者を出したところです。

門脇小学校 門脇小学校アップ 
門脇(かどのわき)小学校です。町の中心街に近い同小は全校生徒300人ほど。津波に襲われた後さらに火災の追い討ちを受け、焼けてしまいました。
生徒や職員は地震のあとにすぐ裏の高台に避難し、下校していた生徒のうち7人が死亡した以外、学校にいた約240人に被害は出なかったとのことです。火災で燃えた跡が痛々しいとしか言いようがありません。
門脇小学校の被災時の状況はこちらに詳しいです。


大川小学校
大川小学校へ来ました。大川小学校は石巻の市街地から10kmほど東の、山と川(新北上川)に囲まれたのどかな集落の中にありました。いまは周りの家々も全部流され、荒地の中に学校が残っているだけです。静かです。風の音と時おり車の音が聞こえるだけ。108人中74人もの子どもたちが津波に流されたとは信じられないほどです。「子どもたちの魂が安らかでありますように」と祈りました。

大川小学校遠景
校舎の南には低い山(いわゆる裏山)が迫っています。なぜこの山に逃げなかったのか。新北上川の堤防の脇に位置していて、河口から4kmも上流あるため津波への緊迫感が低かったとか、この学校自体が地域の避難場所に指定されていたとかの理由があるようです。しかし地球が壊れるのかと思わせるほどの尋常でない大地震でした。校庭に集結していた時に上級生の子から「山に逃げたほうがよいのでは?」と先生に提案したとか、お母さんが先生に「山に避難させて下さい」と詰め寄ったという情報を聞くと、やっぱり子どもたちはほんとは死なずにすんだのでは?、と思わずにいられませんでした。

石巻市の津波の状況はこちらも参考になります。


重い気持ちを抱いて道の駅「上品の郷」に到着しました。(じょうぼんのさと と読みます)

上品の郷遠景
ここ「上品の郷」は素晴らしく大きな道の駅です。地場産品のお店、レストラン、コンビニ、温泉が併設されています。
ここのレストランで30分間のステージを2回公演です。


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上品の郷のレストランの様子。多彩なバイキング料理がお値打ちで人気なのだとか。

2回ステージを務めたあと、レストランでおいしいバイキング料理をいただき、温泉に入って今夜の宿(仙台市のビジネスホテル)に向かったのでした。

3日目以降の記事は下の「Read More」をクリックすると表示されます。


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2012.10.02 Tue l サランモルの活動 l コメント (0) トラックバック (0) l top