むかしSLが走っていたという線路跡をたどり、レンガ造りのトンネルを抜けると、そこには別世界が広がっていました。
晩秋の柔らかな日差し、
そこかしこに茂る木々、
色づきかけたモミジの葉っぱから落ちる木漏れ日…。
眼下には玉野川が流れ、その瀬音が時おり聞こえます。
「ここは時間がゆっくり流れている」などとという表現をよく目にしますが、ここはまさにその言葉がぴったり…。
ここ、「愛岐トンネル群 秋の特別公開」の会場は、人の心を解き放ち、くつろいだ気分にさせてくれる不思議空間でした。
前置きはこのくらいにして。
ご縁があって、ここで演奏させていただくことになったサランモル…。
演奏も楽しみでしたが、旧国鉄の廃線跡とか、廃トンネルだとかについても興味津々で出かけました。
メンバーは、Yさん、Nさん、ウンドスさん、それに私(T)の4人。
うまくまとまるかどうか、そのレポートを。
長くなりそうで、こわい(笑)。
11月26日(土)。晴れ。
朝10時、定光寺の駅を降りると、そこはすでに長蛇の列…。
係りの方に案内していただいて、人並みにもまれ、足元の砂利に足を取られつつ、トンネルをいくつかくぐり、廃線跡地をたどります。
ひとつ目のトンネル。

これらのトンネルは110年ほど前に作られ、SLが煙を吐いて走っていました。
1966年に、中央線の複線電化に伴って、高蔵寺と多治見間の13のトンネル群と単線の線路が廃線となり、最近「愛岐トンネル群保存再生委員会」によって発見?されるまで長い眠りについていたのだそうです。
しかし何とも美しいデザインではありませんか。
それに、痛んでいないことにも驚かされます。
明治の中ごろにイギリス人技師の指導で建設されたのだそうです。
真っ暗なトンネルを抜けます。トンネルの向こうには何が?

枝振りも立派な大モミジ。

「三四五(みよい)の大モミジ」と名付けられていて、愛知県下では一番大きいそうです。
(離れて撮ったため小さく見えますが、じつは大きいのです)。
今年の紅葉の色づきは、天候不順でイマイチだとか。
真っ赤に色づいたらさぞかしきれいでしょうね。
トンネルを3つくぐり、約1キロあまり歩いたころ、ちょっとした広場に出ました。
レンガ広場といい、ミニコンサートのメイン会場です。
ここで2回のミニコンサート。
それにもう1カ所、「竹林」でもやります。その間、けっこう移動距離があります(汗)。
さて、11時半になり、恒例の「ユロル(モンゴル式の祝詞)」のオープニングで
1回目のコンサートが始まりました。

この「レンガ広場」は、山と川にはさまれた場所で、日差しをあびての開放空間。
演奏していても不思議な感覚です。

「レンガ広場」の会場風景。
お客さまは竹製のベンチに座って、あるいは歩みを止めてコンサートを見て(聴いて)くださいます。

およそ20分間のミニコンサート。
ユロルに続いて、草原の太陽、走る馬、秋の唱歌メドレー、小さい秋見つけた、ゲゲゲの鬼太郎、水戸黄門(どんぐりころころ)、などを演奏しました。
「この4人の中で本物のモンゴル人はだれ?」もやりました。
どうやら演奏よりも楽しんでもらえたのかも?!。
レンガ広場が終わったら、デールを着たまま、馬頭琴を抱えて大急ぎで竹林まで移動です。
それも人混みをかき分け、700mほど戻らねば(泣)。
すれ違うお客さま、デール(モンゴルの民族衣装)姿の4人に、何事かとびっくり!!
線路の名残りをとどめるバラスト(砂利)敷きの道。
足元に気をつけて歩きます。
竹林に到着。
竹林では、美しいデールの二人がカメラの標的に。

竹林でのミニコンサート風景

この写真は主催者の担当の方からお借りしたものです。
ここでは、ウンドスさんに「万馬のとどろき」をソロで弾いてもらいました。
お客さまからは大きな拍手。

彼は内モンゴルからの留学生。
勉強とアルバイトに頑張っています。馬頭琴も教えてくれます。
竹林が終わってまたレンガ広場に戻り、2時から3回目のステージをつとめました。

(この写真も主催者の方からお借りしたものです)
お客さまからは、あたたかい拍手をたくさんいただきました。
つたない演奏にお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました。(
ずっとお世話いただいた「愛岐トンネル群保存再生委員会」のSさんとYさんからは、「とてもよかった」との嬉しい言葉をいただきました。そして、来春の「特別公開」でのオファーもいただいちゃいました。
楽しかったのと、手ごたえありという感覚と、程よい疲れとで、大満足で帰路についた4人でした。
ちなみに、この日、4100人もの見学者があったとお聞きしました。
公開の会期23日~27日の5日間で16,000人近い見学者が訪れたそうです。
さて、最後に今回の廃線跡地公開の風景写真を何枚かご覧いただきましょう。
サランモルの活動とは直接関係ないのですが、お許しください。
取材班の私、あまりにここが気に入ってしまって、次の日(27日)にも出かけたくらいですから…。
廃線跡を歩くと、そこかしこに程よいタイミングで掲示板があります。
主催する「会」の考え方、思いが伝わってきます。

「トンネルの今昔」

1966年まで、ここの線路とトンネルを蒸気機関車が煙を吐いて走っていた訳です。
45年前ということになります。
かく言う私も、小学校の遠足でこの定光寺まで来た覚えがありますから、そのSLに乗ったのでしょう。
あるいは、夜行列車でのスキー行でここを走ったかもしれません。(わが青春時代の話です)。
トンネルの中での、あの煤煙のにおいを思い出すような気がします。
最奥にあるトンネルです

そのトンネルを近づいて見てみると

1900年に開通だそうですから、このレンガは111年以上前に焼いて作られ、運ばれて積まれたことになります。じつに精緻に組まれていて、劣化もそれほど見られず、驚くばかりです。建設重機もない時代にトンネルを掘り、レンガを当時の職人さんがひとつひとつ積み上げたかと思うと、その心意気が感じられ、感慨深いです。
からまったツルが年月の経過を思わせます。
通り道の真ん中に生えてきた実生のモミジ。

大事に保護されているんですね。
「会」の方たちの愛を感じます。頑張れモミジ!
廃線跡の自然についての考え方を説明しています。

こんな微笑ましいのも。

こんな工作物?もありました。遊びごころ全開!
その1

水車です。どうやら今年出来たばかり。
大きさは2.7m。近くで見ると大きいです。クギを1本も使ってないのだとか。
楽しんで、かつ苦労してつくられたさまがしのばれます。
いまのところ、ザンネンながら空で回っているだけ。
遊び心その2


いやあ、これには参りました。
300m余りの長いトンネルの真ん中に張られたスクリーン?に、この装置に反射した太陽光が当たって、ちゃんと照明の役割をはたしているのです。大人の遊び心とエコ精神満載です。
眼下に流れるのは玉野川。流れていくと庄内川と名が変わります。

この玉野川…、陶磁器産業が盛んでそのうえ排水処理に気を使わない時代には、陶土で水がもっと濁っていたものでした。
≪補足≫
「NPO愛岐トンネル群保存再生委員会」とは何ぞや?という疑問を持たれた方、そんな方は「愛岐トンネル群保存委員会」のホームページをぜひご覧ください。詳しい情報が載っています。こちらからどうぞ。
現在会員は90名ほどで活発に活動していらっしゃるそうです。
今日の会場でも、揃いのブルゾンを着た会員の皆さんがいきいきとそれぞれの任務を担当しておられました。
私も入会してお手伝いしたくなるような、そんな雰囲気が感じられました。
コンサートの写真は、会の方に撮影していただいたものです。どうもありがとうございました。
晩秋の柔らかな日差し、
そこかしこに茂る木々、
色づきかけたモミジの葉っぱから落ちる木漏れ日…。
眼下には玉野川が流れ、その瀬音が時おり聞こえます。
「ここは時間がゆっくり流れている」などとという表現をよく目にしますが、ここはまさにその言葉がぴったり…。
ここ、「愛岐トンネル群 秋の特別公開」の会場は、人の心を解き放ち、くつろいだ気分にさせてくれる不思議空間でした。
前置きはこのくらいにして。
ご縁があって、ここで演奏させていただくことになったサランモル…。
演奏も楽しみでしたが、旧国鉄の廃線跡とか、廃トンネルだとかについても興味津々で出かけました。
メンバーは、Yさん、Nさん、ウンドスさん、それに私(T)の4人。
うまくまとまるかどうか、そのレポートを。
長くなりそうで、こわい(笑)。
11月26日(土)。晴れ。
朝10時、定光寺の駅を降りると、そこはすでに長蛇の列…。
係りの方に案内していただいて、人並みにもまれ、足元の砂利に足を取られつつ、トンネルをいくつかくぐり、廃線跡地をたどります。
ひとつ目のトンネル。

これらのトンネルは110年ほど前に作られ、SLが煙を吐いて走っていました。
1966年に、中央線の複線電化に伴って、高蔵寺と多治見間の13のトンネル群と単線の線路が廃線となり、最近「愛岐トンネル群保存再生委員会」によって発見?されるまで長い眠りについていたのだそうです。
しかし何とも美しいデザインではありませんか。
それに、痛んでいないことにも驚かされます。
明治の中ごろにイギリス人技師の指導で建設されたのだそうです。
真っ暗なトンネルを抜けます。トンネルの向こうには何が?

枝振りも立派な大モミジ。

「三四五(みよい)の大モミジ」と名付けられていて、愛知県下では一番大きいそうです。
(離れて撮ったため小さく見えますが、じつは大きいのです)。
今年の紅葉の色づきは、天候不順でイマイチだとか。
真っ赤に色づいたらさぞかしきれいでしょうね。
トンネルを3つくぐり、約1キロあまり歩いたころ、ちょっとした広場に出ました。
レンガ広場といい、ミニコンサートのメイン会場です。
ここで2回のミニコンサート。
それにもう1カ所、「竹林」でもやります。その間、けっこう移動距離があります(汗)。
さて、11時半になり、恒例の「ユロル(モンゴル式の祝詞)」のオープニングで
1回目のコンサートが始まりました。

この「レンガ広場」は、山と川にはさまれた場所で、日差しをあびての開放空間。
演奏していても不思議な感覚です。

「レンガ広場」の会場風景。
お客さまは竹製のベンチに座って、あるいは歩みを止めてコンサートを見て(聴いて)くださいます。

およそ20分間のミニコンサート。
ユロルに続いて、草原の太陽、走る馬、秋の唱歌メドレー、小さい秋見つけた、ゲゲゲの鬼太郎、水戸黄門(どんぐりころころ)、などを演奏しました。
「この4人の中で本物のモンゴル人はだれ?」もやりました。
どうやら演奏よりも楽しんでもらえたのかも?!。
レンガ広場が終わったら、デールを着たまま、馬頭琴を抱えて大急ぎで竹林まで移動です。
それも人混みをかき分け、700mほど戻らねば(泣)。
すれ違うお客さま、デール(モンゴルの民族衣装)姿の4人に、何事かとびっくり!!
線路の名残りをとどめるバラスト(砂利)敷きの道。
足元に気をつけて歩きます。
竹林に到着。
竹林では、美しいデールの二人がカメラの標的に。

竹林でのミニコンサート風景

この写真は主催者の担当の方からお借りしたものです。
ここでは、ウンドスさんに「万馬のとどろき」をソロで弾いてもらいました。
お客さまからは大きな拍手。

彼は内モンゴルからの留学生。
勉強とアルバイトに頑張っています。馬頭琴も教えてくれます。
竹林が終わってまたレンガ広場に戻り、2時から3回目のステージをつとめました。

(この写真も主催者の方からお借りしたものです)
お客さまからは、あたたかい拍手をたくさんいただきました。
つたない演奏にお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました。(
ずっとお世話いただいた「愛岐トンネル群保存再生委員会」のSさんとYさんからは、「とてもよかった」との嬉しい言葉をいただきました。そして、来春の「特別公開」でのオファーもいただいちゃいました。
楽しかったのと、手ごたえありという感覚と、程よい疲れとで、大満足で帰路についた4人でした。
ちなみに、この日、4100人もの見学者があったとお聞きしました。
公開の会期23日~27日の5日間で16,000人近い見学者が訪れたそうです。
さて、最後に今回の廃線跡地公開の風景写真を何枚かご覧いただきましょう。
サランモルの活動とは直接関係ないのですが、お許しください。
取材班の私、あまりにここが気に入ってしまって、次の日(27日)にも出かけたくらいですから…。
廃線跡を歩くと、そこかしこに程よいタイミングで掲示板があります。
主催する「会」の考え方、思いが伝わってきます。

「トンネルの今昔」

1966年まで、ここの線路とトンネルを蒸気機関車が煙を吐いて走っていた訳です。
45年前ということになります。
かく言う私も、小学校の遠足でこの定光寺まで来た覚えがありますから、そのSLに乗ったのでしょう。
あるいは、夜行列車でのスキー行でここを走ったかもしれません。(わが青春時代の話です)。
トンネルの中での、あの煤煙のにおいを思い出すような気がします。
最奥にあるトンネルです

そのトンネルを近づいて見てみると

1900年に開通だそうですから、このレンガは111年以上前に焼いて作られ、運ばれて積まれたことになります。じつに精緻に組まれていて、劣化もそれほど見られず、驚くばかりです。建設重機もない時代にトンネルを掘り、レンガを当時の職人さんがひとつひとつ積み上げたかと思うと、その心意気が感じられ、感慨深いです。
からまったツルが年月の経過を思わせます。
通り道の真ん中に生えてきた実生のモミジ。

大事に保護されているんですね。
「会」の方たちの愛を感じます。頑張れモミジ!
廃線跡の自然についての考え方を説明しています。

こんな微笑ましいのも。

こんな工作物?もありました。遊びごころ全開!
その1

水車です。どうやら今年出来たばかり。
大きさは2.7m。近くで見ると大きいです。クギを1本も使ってないのだとか。
楽しんで、かつ苦労してつくられたさまがしのばれます。
いまのところ、ザンネンながら空で回っているだけ。
遊び心その2


いやあ、これには参りました。
300m余りの長いトンネルの真ん中に張られたスクリーン?に、この装置に反射した太陽光が当たって、ちゃんと照明の役割をはたしているのです。大人の遊び心とエコ精神満載です。
眼下に流れるのは玉野川。流れていくと庄内川と名が変わります。

この玉野川…、陶磁器産業が盛んでそのうえ排水処理に気を使わない時代には、陶土で水がもっと濁っていたものでした。
≪補足≫
「NPO愛岐トンネル群保存再生委員会」とは何ぞや?という疑問を持たれた方、そんな方は「愛岐トンネル群保存委員会」のホームページをぜひご覧ください。詳しい情報が載っています。こちらからどうぞ。
現在会員は90名ほどで活発に活動していらっしゃるそうです。
今日の会場でも、揃いのブルゾンを着た会員の皆さんがいきいきとそれぞれの任務を担当しておられました。
私も入会してお手伝いしたくなるような、そんな雰囲気が感じられました。
コンサートの写真は、会の方に撮影していただいたものです。どうもありがとうございました。
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