後藤さんのこと
「NPO法人市民まちづくり風の会」の理事で、建築家の後藤さんのことを知ってもらいたくて、書きます。
リボーさんのコンサートの実行委員会のメンバーとしてお会いした後藤さんは、名古屋市港区で建築業を営んでおられました。愛・地球博に協力するために設立された「風の会」のメンバーとしてまちづくりのボランティア活動を熱心にされていました。
あの震災の後、奥様が被災地に炊き出しに行くと言うので、トラックで鍋釜を運ぶのを手伝うため、現地に入りました。「建築家は居ないか?」という現地の声に応えて、名古屋のプロの建築業者の仲間を連れて被災現場の状況調査に入ることになったそうです。
言葉も出ないほどのガレキの山、一軒一軒被害状況を調査する。そこに住んでいる人の家族の事情を聞く。「奥さんに電話で話しながら涙をどれだけ流したかわからない」と、後藤さんはいいました。
ガレキの山の撤去作業に毎日出る作業員の作業着が洗濯できなくて、宅配便で名古屋に送り、奥さんは、毎日洗濯をし続け、送り続けた時期もあったそうです。今でも一週間か十日に一度名古屋に帰りながら、石巻市で仕事と、ボランティアを続けています。
名古屋からは、「愛知ボランティアセンター」が毎週末、宮城県石巻市の牡鹿半島の十八成浜(クグナリハマ)地区に金曜出発、土曜に一日、ガレキ撤去や、炊き出しボランティアをして、日曜朝に名古屋に戻る活動を30回も続けており、6月から述べ千人も参加し、何ども参加している若者もいる。
なんども来ている若い子達がだんだん人間的に成長して変化しているのがよくわかるそうです。このように一箇所に決めて支援を続けて、地域間の交流が生まれているところは他にないそうです。後藤さんはそのグループに現地で参加しながら、名古屋、現地、行政とボランティアの橋渡し役を担っています。
作業員やボランティアが滞在するための宿舎も、1メートル以上も水没して途方に暮れていた方のお宅を借りることにして、名古屋から材料を積んで行き、到着して夜中までかかって床を張って、そこに寝る、という苦労をしながら造りました。
東北の人の素晴らしさはその人間関係の深さ、それがゆえに、遅々として、復興が進まないという現実も垣間見るそうです。
後藤さんは「東北の人に馬頭琴を聞いてもらいたい」というリボーさんの言葉で、12月10日から12日にかけて、宮城県の女川町、石巻市などで5回のコンサートをコーディネイトしてくださいました。
市内のホテルは、いっぱいで取れないそうで、後藤さんの作った宿舎に泊めていただく事になるそうです。
打ち合わせに、名古屋の事務所に伺いました。
「僕も実は人間的に成長しまして、名古屋を引き払って妻と二人で石巻に住むことにしました。」
「えっ?」
「石巻地域の再生の事業に住民の一人として、自分の経験とネットワークを活かしたい。妻が同じ気持ちになってくれたので、決心しました。」「何よりも深い人間関係が出来ることが、嬉しいんです」と、着々と引越し準備をされています。
そんな後藤さんにタイの水害地域の実業家から、相談が寄せられました。「一度タイの現場を見に来て欲しい。建築家としての目で指導をして欲しい」というものでした。
文責:Yama
「NPO法人市民まちづくり風の会」の理事で、建築家の後藤さんのことを知ってもらいたくて、書きます。
リボーさんのコンサートの実行委員会のメンバーとしてお会いした後藤さんは、名古屋市港区で建築業を営んでおられました。愛・地球博に協力するために設立された「風の会」のメンバーとしてまちづくりのボランティア活動を熱心にされていました。
あの震災の後、奥様が被災地に炊き出しに行くと言うので、トラックで鍋釜を運ぶのを手伝うため、現地に入りました。「建築家は居ないか?」という現地の声に応えて、名古屋のプロの建築業者の仲間を連れて被災現場の状況調査に入ることになったそうです。
言葉も出ないほどのガレキの山、一軒一軒被害状況を調査する。そこに住んでいる人の家族の事情を聞く。「奥さんに電話で話しながら涙をどれだけ流したかわからない」と、後藤さんはいいました。
ガレキの山の撤去作業に毎日出る作業員の作業着が洗濯できなくて、宅配便で名古屋に送り、奥さんは、毎日洗濯をし続け、送り続けた時期もあったそうです。今でも一週間か十日に一度名古屋に帰りながら、石巻市で仕事と、ボランティアを続けています。
名古屋からは、「愛知ボランティアセンター」が毎週末、宮城県石巻市の牡鹿半島の十八成浜(クグナリハマ)地区に金曜出発、土曜に一日、ガレキ撤去や、炊き出しボランティアをして、日曜朝に名古屋に戻る活動を30回も続けており、6月から述べ千人も参加し、何ども参加している若者もいる。
なんども来ている若い子達がだんだん人間的に成長して変化しているのがよくわかるそうです。このように一箇所に決めて支援を続けて、地域間の交流が生まれているところは他にないそうです。後藤さんはそのグループに現地で参加しながら、名古屋、現地、行政とボランティアの橋渡し役を担っています。
作業員やボランティアが滞在するための宿舎も、1メートル以上も水没して途方に暮れていた方のお宅を借りることにして、名古屋から材料を積んで行き、到着して夜中までかかって床を張って、そこに寝る、という苦労をしながら造りました。
東北の人の素晴らしさはその人間関係の深さ、それがゆえに、遅々として、復興が進まないという現実も垣間見るそうです。
後藤さんは「東北の人に馬頭琴を聞いてもらいたい」というリボーさんの言葉で、12月10日から12日にかけて、宮城県の女川町、石巻市などで5回のコンサートをコーディネイトしてくださいました。
市内のホテルは、いっぱいで取れないそうで、後藤さんの作った宿舎に泊めていただく事になるそうです。
打ち合わせに、名古屋の事務所に伺いました。
「僕も実は人間的に成長しまして、名古屋を引き払って妻と二人で石巻に住むことにしました。」
「えっ?」
「石巻地域の再生の事業に住民の一人として、自分の経験とネットワークを活かしたい。妻が同じ気持ちになってくれたので、決心しました。」「何よりも深い人間関係が出来ることが、嬉しいんです」と、着々と引越し準備をされています。
そんな後藤さんにタイの水害地域の実業家から、相談が寄せられました。「一度タイの現場を見に来て欲しい。建築家としての目で指導をして欲しい」というものでした。
文責:Yama
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