この大型連休に、モンゴル国で開催された第3回国際馬頭琴フェスティバルに参加してきました。
そこで感じたことを少しまとめてみました。
書くのは馬頭琴にまつわることで、旅行記ではないのですが、写真も何枚かご覧いただきましょう。

いよいよモンゴルへのツアーが始まります。名古屋からのメンバーはEさん、Fさん、それに私(Yama)の3人です。
民族の歌の伴奏楽器として生活の中にあった馬頭琴は、昔は近所の人々が集まって宴会をし、歌を歌う日常がありました。
そのときに伴奏者としてその地方の馬頭琴奏者が育っていったのでした。
地方により演奏者により、歌い手も伴奏者も個性が発揮できていたのでしょう。
その奏法は弟子に受け継がれ、その地方にだけ伝わる奏法と言うものがあったのです。
文化が成熟し、この百年ほどの間に馬頭琴は芸術的なクオリティの高さ、演奏の美しさを追求してきました。
現在では演奏家も民間の腕のある人からではなく、大学で馬頭琴を学んだ人が、仕事として演奏する事になりました。
昔ながらの伝統的な民間の奏法は、伝わらずに消えていきつつあるのです。

フェスティバル参加者による全員合奏のシーンです。(Kさん撮影の写真をお借りしました)
ウランバートルのホールで聴いた国立馬頭琴楽団が奏でる演奏は、この上なく美しく、洗練されたものでした。
しかし、馬頭琴でなくてはならない特有な音色が失われつつある気がしました。
楽器製作者も、ヨーロッパでバイオリンやチェロの製作技術を勉強した人々が増えたため、どんどん洗練されてきました。お客様の要望により少し触っただけで音が出るような楽器が増えてきました。それは好ましい事ではないと指導者は嘆いていました。しかし、私達素人の演奏者にとっては、すごくありがたいことと感じています。

Eさんと私のステージ。ドキドキでした。
中国・内モンゴルの馬頭琴をずっと弾いてきた私(yama)は、モンゴル国の馬頭琴の音の深さを素晴らしいと感じていました。最近になって、内モンゴルの楽器が変化し大きさや材質などがモンゴル国のものに近くなり、両国の馬頭琴が似てきたなとも感じていました。
両国間の大学の先生の交流が盛んになり、多くの指導者がモンゴル国から内モンゴルに赴任しています。内モンゴルの馬頭琴を学ぶ大学生が、単位が取りやすく将来性を求めてモンゴル国の大学院に留学をしてきます。交流が深まるにつれ、時代の流れで、楽器も楽曲も変化を遂げていくのだと感じました。

私たちの先生リボー(李波)さんのステージ。今さらながら、リボーさんの演奏の素晴らしさを思い知らされました。もちろん客席からは大きな拍手が…。
生活習慣の変化で、今ではインターネットを通じて、情報がくまなく行き渡る時代です。
民族楽器として、外国の人に知られることの少なかった馬頭琴は、特に若い人々には無縁の楽器でした。しかし最近アメリカやヨーロッパでロックグループのいくつかが、馬頭琴やホーミーを取り入れて評判となり、若者に一気に広まりました。今まで興味の無かったモンゴルの高校生や、中学生にも馬頭琴愛好家が増えたそうです。今回のフェスティバルには実際に若く素晴らしい演奏者が大勢出演していて、頼もしく感じました。
今後、馬頭琴はどの様に成熟し、どの様に変化を遂げるのでしょうか。とても楽しみです。
バイオリンやビオラ・チェロでなく、馬頭琴でなければできない表現力と音色を求めて進化を遂げて欲しいと願っています。 (文責:yama)
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